煉瓦面白物語・1
赤レンガ倉庫の設計者
妻木頼黄(つまきよりなか)


妻木は安政9年(1859)旗本の子として赤坂で生まれ、15歳で英語を学び17歳にして渡米。19歳で工部大学校(現東大工学部)に入学、23歳で中退しまた渡米。ニューヨーク州コーネル大学に編入。25歳で卒業し晴れて建築学士になる。その後ニューヨーク市で実務研修を終え、ヨーロッパを視察し帰国。26歳にしてはじめて東京府の御用掛として就職。27歳で内閣の臨時建築局に転じ、以後官庁建築を手がけるようになった。この頃の有名な建築家は、日本銀行や東京駅など日本を代表する建物を設計した辰野金吾。その陰で妻木はA東京府庁舎や広島仮議院(臨時議会のための議事堂・20日間で造った)などの官庁建築を造っていた。しかし、辰野に対するライバル心も強く、その後、横浜正金銀行本店(現神奈川県立歴史博物館・横浜馬車道)、カブトビール工場(愛知県半田市)、日赤本社(1975取り壊し)など民間の建物も手がけた。彼の夢は「国会議事堂」の設計。妻木が57歳で逝った後、辰野の指導の下、議事堂は公開コンペで設計者を決めた。今、妻木は谷中墓地乙13号右5に静かに眠っている。
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赤煉瓦ネットワーク
[舞鶴・横浜] 物語

¥1,980

日本の「赤煉瓦」でつくられた建物の保存・活用などを行っている「赤煉瓦ネットワーク」の活動をつづった本。