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煉瓦面白物語・3
妻木頼黄VS辰野金吾
横浜赤レンガ倉庫に使用された煉瓦の数は前述のとおり、2号館で約318万個。1号館も当初同じくらいだったので、併せて約636万個と推定されている。こんなに多くの煉瓦を使っているが、これよりも多く使われた建物がある。妻木のライバルというか天敵である辰野金吾が設計した「東京駅」である。ここでは833万個の煉瓦が使用された。この東京駅、戦災で一部が焼け、屋根等は当時と違っているが、このたび復元することになった。めでたしめでたしである。しかし煉瓦の数で辰野に負けている妻木、悔しいではないか。そこで、ちょっと妻木の方が勝っているのは何かを探してみた。
まず、現存する辰野と妻木の設計した建物の数を比べると、これは圧倒的に辰野が多い。妻木で残っている主な建物は、横浜赤レンガ倉庫・横浜正金銀行(神奈川県立歴史博物館)、カブトビール半田工場、第一勧業銀行本店(現千葉トヨペット本社)くらいのもので、辰野にいたっては、東京駅をはじめとして日本銀行本店・大阪支店・小樽支店、旧京都支店その他地方に作られた銀行が相当数現存している。何しろ作った数が多い。これも負けか。困ったものである。調べていく内に、面白いことがわかった。妻木は明治19年にドイツに派遣されたが、そこでビールの美味しさに魅了された。日本に帰って来ても、機会があれば呑んでいた。そんな時、ビール工場の設計を頼まれ、大阪麦酒会社(現アサヒビール)吹田工場、日本麦酒醸造会社(現サッポロビール)目黒工場、丸三麦酒(旧カブトビール)半田工場と次々に設計していった。また、北区十条の醸造試験所も設計しており、酒の関係については辰野を凌駕している。妻木は辰野よりも酒が好きだったのではないか。その分野については妻木の勝ちである。
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赤煉瓦ネットワーク
[舞鶴・横浜] 物語
¥1,980
日本の「赤煉瓦」でつくられた建物の保存・活用などを行っている「赤煉瓦ネットワーク」の活動をつづった本。
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